55ジョージは、ごじゅうごジョージ?それとも . . .?

日本人は、音で遊ぶのがとても好きです。たとえば、「よろしく」を「4649」と数字で読んだり、
「耳の日」が「み(3)み(3)の日」で3月3日、「鼻の日」が「は(8)な(7)の日」で8月7日だったりします。そうなんです、「55ジョージ」には、「がんばれ ジョージ (GWの学生たち)!」という意味が込められているんです。

Thursday, November 1, 2007

一番のハロウィーン

私の名前はジャックです。私の一番のハロウェーン時に私は才でした。私はジョニーデップでした。私はムスタショとベアドがありました。私の友だちはピラトでした。私たちは九人でした。私たちはトリックトリティングをするつもりでした。私のおやは「午後の十一寺までにトリックトリティングを行く」と言いました。私と友だちはトリックトリティングをしました。それは、私の友だちの名前のレセリはでんわがかがってくる。 レセリは「ハロウェーンのパーティーをしそうです。行きたいですか。」と言いました。私たちはハロウェーンのパーティーに行きたいでした。でも、午後の十時四十五分もうでした。私たちもうハロウェーンのパーティーに行きました。ハロウェーンのパーティーはとてもたのしかったです。しかし、家に帰るに私のおやはとてもおこっていました。私のおやはとてもかわかったです。そのよりのハロウェーンのパーティーあとでとてもたのしくなかったです.おやにおこられたことはたのしくなかったけど、パーティーの方がたのしかったです。 

天ぷらはとてもおいしい

私の名前はジャックです。私の日本の一番おいしかった食べ物は天ぷらです。日本に時に私の日本の家族は私に天ぷらを作りました。日本の家族の天ぷらをとてもおいしかったです。日本の家族は私に天ぷらを作るのを教えました。アメリカにかえる時に私の家族に天ぷらを作るつもりでしたけど、私の天ぷらを作るのはとてもわるかったです。私の天ぷらと日本の家族の天ぷらをちがいました。私の次の天ぷらはとてもいいの方がです。その天ぷらはとてもおいしかった。今、私の天ぷらはとてもおいしくてよいです。

ペッジ

私の名前はジャックです。何時に十六才に顔から火がでたことがありました。それから、その時にアメリカのコンゴレッスに働きました。ペッジは仕事でした。ペッジはとてもたんしかったです。七月四日2004年にペッジになることが出来ました。ほかのペッジはとてもいいと思いました。ある日、仕事で間違えました。私の顔から火がでした。ほかのペッジは私にわらいました。私はとてもかなしかったです。でも、後で私はおかしでろうのが分かりました。ほかのペッジと友だちになりました。2004年の夏はとてもたんしかったです。

一番のおんがく

私の名前はジャックだ。私がよく聞くおんがくがインディと言う。ホトホトヘアトとデテュカブフォルクユチがひくようなインディと言うおんがくだった。私の好きなかしゅがホトホトヘアトのバイズスツエブとデテュカブフォルクユチのギバッドベンだ。ホトホトヘアトがバルチモルにはすぐやてくる。コンサトとてもたのしみにしている。いけたら、いいなとおもう。コンサトは十月十五日になっている。それでも、一番好きなおんがくがインディだが、いろいろなジャンルのおんがくがたのしむ。グレイトフォデッヅやアタリズやサナタラフランクやウタングクランが好きだ。外国のおんがくがも好きだ。ブラジルのギルブラトアスツリドと日本のダーパンプが好きだ。たくさんのおんがくに聞く。ポプやロックやブルズを聞く。クラシックでも聞く。ひまな時におんがくに聞くこと好きだ。

花見先生は話す

私の名前はジャック。九日十月二千七年に花見先生に見に行きました。去年は、花見先生が日本語の文献の先生でした。花見先生はとても良い先生でした。花見先生は新しいクラスがだったら、クラスが取りたいです。先週は、花見先生といっしょに話しました。花見先生は、「しゅしんはコサンジュルスだ」と言いました。花見先生の学部生はUCLAに出ました。花見先生のPhdは、スタンフォドに出ました。花見先生は、「日本語が好きだから、日本語を教えるのが好きだ。そして、えいえんに学生ときもちだ」と言いました。花見先生はジョージワシントン大学ではたらきはじめたのが千九百九十六年でした。花見先生は結婚しています。花見先生はむすめがいます。むすめは二十才です。私は年齢とおんなじです。花見先生は、「しゅみは寝ることとテレビを見ることと日本のテレビドラマを見るのが大好きだ」と言いました。 今、花見先生がビエンナに住んでいます。花見先生は、「ビエンナがままだ」と言いました。私と花見先生といっしょに話す時のがおもしろかったです。

ハンガリー語を分かれます

私の名前はジャック。私の母の 家族 のしゅしんはハンガリーです。私のおばあさんとおじいさんはハンガリーにうまりました。私の母とおばあさんはハンガリー語を話せます。私のおじいさんはハンガリー語を話せました。私はちょっとハンガリー語を話せます。しかし、私はハンガリー語を分かれます。小さい時からおばあさんは私にハンガリー語で話しました。でも、私はいつも英語でこたえました。今は、おばあさんはもうハンガリー語を話してが、英語も分かります。おばあさんはハンガリー語を話すこと英語を話すことよりが好きです。私のおばさんとおじさんはたくさんの語を話してが、 家族 のみんながハンガリー語を話せます。だから、家族のなかではみんなの言うことをわかることが出来ます。ハンガリー語を分かれますから、私も家族が分かれます。おばあさんのものかたりを聞けます。そして、おばあさんの生命をなります。ハンガリー語を分かれますから、私はとてもよいです。

ロシア大使館に行こう

私の一番好きな思い出は大学の始まる時です。2005年9月にジョージワシントン大学で一年生としてワシントンに勉強しに来ました。

ハローウィンが来る前に私はせんぱいから、ワシントンのロシア大使館が誰にもお酒を出すと聞きました。アメリカで二十一歳以上からお酒を飲めますが、その時まだ二十一歳だったから面白いしやってみることにしました。ハローウィンの日に友達とみんなロシア大使館に行きました。大使館は地下鉄のバンネスと言う駅の近くです。でも、誰も道を知りませんでした。誰も持って来ませんでしたからみんなが迷いました。私達がお金を払わないでお酒を飲んで欲しいでしたけど出来ませんでした。みんなが寂しく帰って喋ったり、テレビを見たりしました。

次の日に大学のハーチェトと言う新聞で、ロシア大使館がやはりお酒を出してくれなかったと書きました。みんなは時間の無駄になりませんでしたからよかったと思いました。